現在の日本は、10世帯のうち1世帯は「ひとり親家庭」
そんな中、私は幼少期のときから母と2人暮らし。
まさに、私自身がひとり親の子どもです。
そして私の母は、私を1人で育てながら「看護師」になるという母自身の夢を
叶えた、超人(と、私は勝手に呼んでいます笑)。
その分、託児所や保育園や児童館、近所の人と過ごす時間も多くありました。
行く先々でたくさんの愛情を注いでもらって、良い思い出もたくさん。
その愛情を注いでくれる源泉は母の想いや努力を周りが認めていたから。
だからこそ、まず母には感謝をしています。
そして母の休日は、必ず私を連れてどこかに連れて行ってくれて、私のしたいことをやらせてくれる。愛しかない環境で育ったことを幼いながらに感じていました。
だからこそ、
「普段はみんなよりお迎えが遅いけど、お休みの日は誰よりもママといる」
という子どもなりの自負があったのだと思います。私はいままで母を憎んだことも、親は2人いるほうが良かったとも、思ったことはありません。
でもやっぱり、ときどき、さみしくなります。
例えば、お迎えのとき。
どんどん周りの友達が帰っていくなかで、残るのはさみしい。でもママが頑張っているのを知っているから、ぐっと我慢します。でもあるとき、ママではない人が早々にお迎えが来て帰ることになったとき違和感を感じるんです。
「あれ、ママじゃないとうれしくない」・・・もちろんその人が嫌なわけではありません。
例えば、なにかができるようになったとき。
初めてできたことだから、ほめてほしい。でもそこにはママはいない、私の知らないところで頑張っているのを知っています。そして思うんです、
「ママに一番にほめてもらいたい」
ただ「いつでも、会いたくなるのはたった1人の親」です。
そんなとき、いつも隣には相棒のぬいぐるみ。
この子がいれば大丈夫と思えるのは、ママが「この子と居れば大丈夫」と、
かけたコトバという名のおまじない。これこそ、小さい子にとっては
大切な「おまもり」です。
このぬいぐるみに、たくさん後押しされて、前に進む勇気をもらいました。
でもランドセルを背負う頃、この子と離れることが多くなります。
年齢や、学校という場を考えると、持っていた「おまもり」は持っていけない。
そんな時、私がぬいぐるみの代わりにしていたのは「記憶の中にある母のコトバ」でした。こんなときママはなんていうだろう、きっとこう言うかな、大丈夫かな。
想像の中の母が話す、
コトバの「おまもり」が心の支えで、勇気の源になっていたのです。
母からのコトバは背中を押す。
同じコトバでも「親」というだけで言葉の威力は数億倍にも変化します。
それならば、
想像の中の母のコトバではなく、親が記した本当のコトバを親の力がほしいときに、
その時に合ったコトバを自分が見たいときに、背中を押してほしいときに、自分で見る
さみしいときに、もう少し頑張ってみようと思える「おまもり」を
そんな想いで「フレふれbook」はいま、生まれようとしています。
そしてわたしがなぜ、このタイミングで「フレふれbook」を制作したいのか。
きっかけは私がハタチで気づいた親の愛情の深さでした。
ふと、引き出しを開けると出てきたのは母親からのたくさんの手紙。
どの手紙も私を想って、私のために綴ってくれていたコトバばかり。
それを見て思ったことは2つ。
1つ目は、取っておいてよかった。
2つ目は、このタイミングで必ず気づくべき。
小学生はとても敏感で、周りが思っているよりも様々なことに気づいています。
それでも、親の愛情に気づき、感謝するには少しだけ早い。
だからこそ、小学生のタイミングで使っておく。
そして、自分が気付くタイミングまで取っておく。
いつか、親の愛情の深さやコトバの強さ、これを持たせてくれたことに感謝する。
フレふれbookを使った子どもは大きくなったそんな日にもやはり、
「親にこのコトバをもらってよかった」と思うのです。